過去の演奏会レポート

2005年11月20日 諏訪交響楽団練習風景レポート
寄稿者:酒井治信様(諏訪響団員Viola)  http://www.avis.ne.jp/~harunobu/
寄稿日:2005年11月20日
 北原幸男指揮者による諏訪響80周年記念コンサート(12月23日岡谷市カノラホール)に向けての「マーラー2番復活」の総合練習が本日(11月20日)行われました。

 「指揮者を含めて、全出演者が聞きあって音楽を一緒につくろう。幸せになろう、全力でがんばろう,やれば出来る……」と北原指揮者はおっしゃいました。なんとすばらしい言葉だろう。
 ソリスト、合唱、オケが北原幸男指揮者のもとで約5時間練習しました。
語りはソフト、しかし、内容はきびしくかつ、的確。演奏者の立場や人格を尊重しながら、ときには辛辣な指摘をする。それでいて、練習の雰囲気は楽しいく明るく、笑いもでる。北原幸男指揮者は、人格者だ。

 まだ1か月ある。今日の練習で指摘されたことを克服し、本番に備えたい。そして、演奏会打ち上げ会で,最高の美酒を飲みたいものだ。
2005年9月25日 シンフォニア・ラ・ボエーム演奏会レポート
海外オーケストラ来日公演記録抄 http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/ の"演奏会いいたい砲台"より管理責任者大谷政和様の了解を得て転載
[会場]かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール
[曲目]プロコフィエフ:組曲「ロミオトジュリエット」より7曲
   ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

 台風がそれていったため恙無く挙行されたシンフォニア・ラ・ボエームの旗揚げ演奏会。会場に開演40分前に入りましたが、三人の弦楽器奏者の方がプロコフィエフのリハをやっており、和気藹々と何度も同じ部分をやっていくうちに、みるみるしっかりした音になっていったのですが、これを聴いていてもアマチュアオケであるにもかかわらず、かなりのレベルのオケであることがわかり、たのしみが増したものでした。もっともこの日の公演、これがたんなる旗揚げ公演ではすまない凄い演奏会になってしまい、それこそ「たのしみが増した」というレベルのものでは最後なくなってしまったのですが…。

 前半のプロコフィエフは前日のブラームス同様の音楽づくりで、随所に原色をふんだんに使用しながらもあまり諧謔的な雰囲気のない演奏となっていましたが、ダイナミックな幅をもった演奏となっておりなかなか迫力に富んだものになっていました。前述したお三方のアンサンブルもうまくいき、ちよっとほっとしたものがありました。

 そして後半のショスタコーヴィチ。かつて北原さん自身がN響と録音したことがある得意の交響曲第11番。自分はこの演奏は未聴なのですが、その後都響と録音した同じ作曲家の交響曲第5番の、静かな佇まいながらも恐ろしいほどの緊張感と集中力を秘めた演奏に大きな感銘を受けたものですが、この日の11番はその5番を凌駕する、それこそ数年前に聴いたラザレフの交響曲第11番の演奏に充分匹敵する超名演となりました。

 第一楽章。ともすると弦の弱音とトランペットの音しか印象の残らないことが多いこの楽章からそれ以外の多くの音を次々と、まるでひとつずつ彫りあげるように音化していくのですが、それを聴いていると北原さんは「1905年」の事件の状況描写をただしようとしているのではなく、その時そこにいた人々の心理状態もしくは心象風景を描ききることにより、今からちょうど100年前の事件に現在今ここにいる我々を、その時そこにいた群集の中の一市民のような立場に立たせ、あたかもその歴史的事件にたち合わせようとしているかのようで、事件全体の雰囲気描写ではなく、そのとき何がそこにいた名も無き各人各個人に起きたのかということを追体験させようとしているかのようで、その音楽に戦慄的なものさえ感じたほどでした。

 それは第二楽章でひとつの頂点をむかえました。次々と歴史的事件の暴発へと刻一刻と近づくにつれ、次第に狂騒に駆られていくような人々の異常な興奮ぶりとどんどん殺気だっていく心の沸騰、そしてそれが爆発的頂点に達した時に鳴り響く一斉射撃とパニック、そしてそれが終焉した後の人々のその心にうつった情景と自失を、北原さんはほとんど抉るように次々とリアルに描出していきました。それは曲に対して危険な領域に立ち入ったのではないかというほどの接近ぶりで(しかもそれを暴走させない強靭なコントロールを効かせながら)、聴いていて鳥肌が立つような感覚さえ覚えたほどでした。これは稀にみる凄まじい音楽でした。

 続く第三楽章は北原さんがそれまで聴き手を各々歴史の証人とするかのような演奏を聴かせていたのに対し、ここではもの凄いほどの曲へののめり込みによる、凄まじい歌いこみがまるでマーラーの交響曲における演奏を想起させるほどで、渾身の音楽への没入と歌い上げが、まれにみるほどの強烈かつ圧倒的な説得力をもって鳴り響いていました。それはかつて聴いたべルティーニのマーラーを思い出せるほどのもので(自分はバーンスタインのマーラーを実演では聴いていません)、臓腑を抉られるような感覚すら覚えるほどでした。

 そして終楽章はまさに先行する三つの楽章の要素が同時進行するかのような、強烈なまでの空前の歌い上げと、凄絶なこの事件に遭遇した人々の心理描写への凄まじいまでの抉りこみが、これ以上ないと思えるほどの圧倒的な音楽となって頂点を築いていきました。それにしてもラザレフ以外に、しかも日本人でこれほどのショスタコーヴィチを指揮する人がいたとは!ある程度予想はしていたのですが、これはあまりにも膨大な情報量と巨大なスケール、そして絶大な緊張感と集中力をもった演奏で、最後はホールが鳴動するくらいのものがありました(あと全体を通して低音の凄みが強く印象に残りました)。この日は録音をされていたようでしたが、ぜひこれはCD化してほしい演奏です。たしかにちょっと録り直してほしい部分もあるにはあったのですが、これをこの日この会場にいた人だけしか聴けないというのはあまりにも残念だからです。

 指揮の北原さんは前日の演奏からそのテンションを持続し、さらにそれをためてためて後半のショスタコーヴィチに一気にもっていったような感じさえしたほどでした。しかも途中片足を浮かせ全身で激しいリズムを刻んだり、指揮台を強く蹴りこんだりと、かなり激しい気迫を込めた指揮ぶりに、そのエネルギーがいったいどこから来るのかと驚嘆さえしたものでした。22時間のうちに二公演。しかもその最後にきてこの驚異的な名演。ほんとうに驚きです。それにしても北原さんのショスタコーヴィチ。これはもう絶対聴き逃せないもののひとつとなりました。来年何度ショスタコーヴィチを指揮してくれるのでしょうか。ほんとうに今からたのしみです。これはとんでもなく凄いです。

 最後にオーケストラ。この北原さんの膨大かつ精緻な音楽によくついていき、この名演を成し遂げたものだと、正直賛辞の言葉しかありません。上の方でCDにするのなら一部云々という言葉を言いましたが、それはそれこれはこれ。一回の演奏会に限っていえばもう言うことはありません。ただしひとつ心配なのは第一回でこのような公演をやってしまう、と二回目以降がどうなってしまうのかちょっと危惧してしまいます。それだけでしょうか。

 会場を出ると来た時には曇天だったのがうそのように、抜けるような澄み渡った秋の青空となっていましたが、それはこのオーケストラの今後をあらわしているかのようでもありました。今後より充実した活動をされていくことを強く願う次第です。ほんとうに素晴らしい演奏、ありがとうございました。
2005年9月24日 日本フィルハーモニー交響楽団 第210回横浜定期公演レポート
海外オーケストラ来日公演記録抄 http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/ の"演奏会いいたい砲台"より管理責任者大谷政和様の了解を得て転載
[会場]横浜みなとみらいホール
[曲目]ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
           (VN/戸田弥生、VC/山崎伸子)
   ブラームス:交響曲第1番

 北原さんの指揮は以前MUZAでの第九、そしてAltusに録音したショスタコーヴィチの交響曲第5番でたいへん好感をもったものの、その後なかなか実演を聴くことがかなわなかったのですが、ようやく今回聴くことができました。

 最初の二重協奏曲はソロのお二人もよかったのですが、北原さんのその二人をたてながら、とても端正かつ瑞々しい感覚をもった指揮が素晴らしく、まるでピアノトリオがそのまま管弦楽規模に拡大したかのような、指揮+Vn+Vcトリオとでもいいたいようなじつに自発性のあるものとなっていました。またオケが熟成のある音楽を随所に奏でており、特に第二楽章の冒頭その木目を思わせるような穀のある響きはじつに素晴らしいものがありました。

 そして後半の交響曲第1番。これもまた端正かつ瑞々しくそして見通しの良いものだったのですが、それだけではない、ずっしりとした重心の低い重厚な響きや、弦の奔流のような激しく苛立つような響き、そしてティンパニーや金管のここというときの見事なきまりぐあいなど、この曲の理想形を聴いているような気がしたものでした。

 考えてみるとこの交響曲はブラームスがまだ四十代半ばに完成したもので、今回の北原さんの指揮はかつての飯守さんとはまた違った形で、この曲のもつ壮年期の生命力と推進力を抉るのとも煽るのとも違う、オケの中から自然に湧き上がらせるようにして描き出そうとしているかのようで、それがまた自然な緊張感と迫力を感じさせるものがありました。

 バーンスタインの門下というと、小澤さん、佐渡さん、大植さんと、なかなか華やかな話題と指揮ぶりがいつもついてまわるの方が多いのですが、北原さんはなぜかそういうこととはあまり関係なく、我が道を往くような指揮活動を行っているため、なかなか注目されづらい部分があるのですが、今まで聴いたこの方の指揮は職人的な上手さに音楽をしていることの愉しさが加わった、それでいてスケールの大きさや厳しさにも事欠かない、じつに音楽に対して真摯な態度を持った指揮をされているような気がしました。

 初めて聴かれると「静か」な指揮のように感じられるかもしれませんが、この日のブラームスの交響曲のように、一度音楽の内部からひとつのエネルギーのようなものを汲みだすと、その音楽から無限に湧き上がる泉のごとく、その音楽の内側にある生命力というものを表出させ、音楽を「熱く」語るところがあり、それがまた終演後になんともいえない充足感を聴き手に与える要因のひとつとなっているような気がします。北原さんという指揮者、自分が聴いた指揮者の中でもかなりオーソドックスなタイプの指揮者といえるかもしれませんが、最も底が深い音楽を持っている指揮者のお一人という気もします。北原さんの指揮、まだまだこれからも聴いていきたいものです。
2003年12月27日 宇都宮大学管弦楽団 第56回定期演奏会レポート
レポーター:鈴木朝子
[会場]宇都宮市文化会館
[曲目]シベリウス:フィンランディア、ベートーヴェン:交響曲第4番、チャイコフスキー:交響曲第4番

 北原氏の指揮は3回目という宇都宮大学管弦楽団の定期演奏会、今回のプログラムはシベリウス/交響詩「フィンランディア」、ベートーヴェン/交響曲第4番、チャイコフスキー/交響曲第4番だった。北原氏は、10月頃から何度か宇都宮まで足を運び指導にあたられたそうだが、学生達のひたむきさに大変感動していた。「彼らのピュアなところには心打たれます。いろいろな学部の人達が集まって仲間となり、ひとつのものを作り上げるために頑張っている・・・。皆がそれぞれ係を分担していて、演奏会の進行、楽器の運搬・・・すべて自分達でやるんです。オケの中で社会性を身につけていくんですね。とても礼儀正しいんですよ。練習の時はみんなスーツを着てきてます。」

 実際に、楽屋を覗かせていただいたが、皆忙しそうに、でもとても楽しそうに働いていた。楽屋口で親切に対応してくれる学生さん達。2階席にはビデオ撮影の準備がされていて、曲にあわせてカットの指示を出すために、メンバーが楽譜を見ながらカメラマンの横に付き添っているのだそうだ。舞台袖には、曲のタイムはもちろん、アナウンス、出入りのきっかけ、花束贈呈のタイムまで細かく書かれた進行表が置いてあって、この演奏会を成功させるための団結した努力がうかがわれる。

 練習は週3回。入団した時は弦楽器を触ったこともない人がいるという。でも、OBを含めた先輩やトレーナーによる特別レッスンを受けたりしながら、舞台に向けてとにかく日夜、熱心に練習を続ける。熱心すぎて4年以上大学に通う人もいるらしいが(どうやら8年いた人も・・・)、とにかくみんな好きで好きでたまらない、という感じだ。

 「まじめすぎちゃって、歌うのが苦手なオケなんです」と、北原氏の指揮を3回とも経験したというコンサートミストレスの稲垣さん。「それを察してか、北原先生はユーモアたっぷりで、雰囲気作りがとってもお上手です。」

 宇都宮大学の助教授で、この楽団にほぼ30年にわたって在籍し、顧問、トレーナーをなさっているヴァイオリンの内海先生によると、「昔は30人ぐらいのオケでした[ちなみに今は120人くらい!]。以前に比べて全体のレベルも上がり、いい指揮者も来てくれるようになりました。北原先生はとても中身のある音楽を要求していて楽しいです。学生にはちょっと大変かもしれないけれど、ありがたいことです。」内海先生は、初心者を指導しながらも自らオケの中に入って演奏し、そうすることによって皆を引っ張っていくという、素晴らしい師であり、演奏者でもある。

 普段指導にあたっているのは、この楽団を経て、現在東京芸大の指揮科4年生の小森さんで、北原氏の信頼も厚い。「若さとひたむきさが取り柄のようなオケですが・・・、北原先生が振ると、何故かサウンドが変わるんですよ。最初に振っていただいたのは第50回目の定期演奏会でベルリオーズの幻想交響曲でしたが、幻の指揮者と絶賛されました。」

 その日の演奏は、すがすがしくエネルギーが漲っていた。若い人達の純粋で一途な音は、聴き手を心から感動させる。演奏後、北原氏は「ここでは、僕自身をそのままぶつけて、また、みんなもその意思についてきてくれるんです。高校野球のようなさわやかさがあるんですよね。」と言っていた。

これからも、この伝統を受け継いで、ますます素晴らしい演奏を期待して止まない。
日本合唱協会第131回定期演奏会について
寄稿者:山下晋平様(日本合唱協会・ベース)
寄稿日:2003年5月
2002年10月22日 東京文化会館小ホール

日本合唱協会、生田美子(ピアノ)、助川敏弥(トーク)

シューマン: 流浪の民、フォーレ: ラシーヌ讃歌、 滝廉太郎: 花・納涼・秋・雪、 萩原英彦: なのはなさん、 シュテッフェン: 美しい娘イエグダ、 馬思聡: 春天大合唱、 助川敏弥: 虹の上にいるの-Requiem- (委嘱新作)、 他

 私は日本合唱協会の歌い手の一人として、北原氏の指揮で歌わせて頂いたのであるが、北原氏の音楽のすばらしさを一言で表現するならば、「指揮者も歌い手も音楽の甘美さを存分に味わい、音楽そのものと同化する」という事であると思う。音楽を分析するのでもなく、音楽をコントロールして支配するのでもなく、音楽そのものの流れに身をまかせ、たゆたい、その中で祈り、踊り、遊ばせてくれる指揮者であるという印象が強い。
 自分の事をひき合いに出すのはひどく不遜であるが、私も普段、アマチュアコーラスの指揮指導をさせて頂いている。その中で陥ってしまいやすい失敗は、音楽を、歌い手を、リズムを、コントロールしようとしてしまう事である。アンサンブルに一糸乱れぬ完全さを求めるあまり、力み、作為的にリズムを叩きまくり、音楽をあやつろうとしてしまう。そのことによって、操るもの(私)と操られるもの(音楽)という区別が生じ、世界が2元的に分かれてしまい、音楽を求めているはずが、かえって音楽から遠ざかってしまうのである。

 日本合唱協会の、この演奏会に於いて、個人的に最も気持ちよく歌え、また勉強になったのは、萩原英彦作曲「なのはなさん」である。この曲は菜の花のまわりを、ひらひら舞うちょうちょうの、軽やかな様子を歌う実にチャーミングな小品である。この曲に於いて、北原氏の指揮はちょっと奇跡的なほど(!)音楽と同化した、すばらしい棒であった。いや、それば棒ですらない。なぜなら、北原氏は、ほとんど振っていないのである。リズムを全く叩かず、リズムを支配せず、何もコントロールしないで、ただ軽くステップをふみ、踊るように微笑んでいるだけである。音楽はただ流れるままに溢れていながら、北原氏は何も作為的に操っていない。春が来て草がひとりでに生える様に、強いられた努力がない。命令がない。"操るもの"と"操られるもの"といった区別がない。北原氏は制御せず、指導せず、自らの力を誇示しない。だからこそ、音楽が、それ自身の生命の呼吸をはじめる。この時の私の気持ちは「そうだ!私達自身が音楽なのだ!」という確信である。音楽の流れの中に我々の自我は完全に失われたとも言えるだろう。これは大変幸福な体験であり、私は自らが音楽であるという快感を存分に味わいつつ歌った。 

 助川敏弥作曲「虹の上にいるの」も印象深かった。この曲は休符が多く、静寂に満ちた大変美しい曲であるが、ひとつのフレーズが終わり静寂が訪れた時、ここでも北原氏は、その静寂を支配せず、静寂が静寂として存在するがままにまかせ、私もその静寂に身をまかせるままの心地よさを堪能した。宇宙の深遠と向き合う程の北原氏の静けき空間は、正直恐怖心すら覚えたが、それ以上に私は自分が宇宙空間に放り出されるがままを楽しんだ。シビレた!

 音楽をあるがままに、静かな熱と集中力でその流れに自ら同化し、奏者も同化させてくれる稀有な存在であるところの指揮者、北原幸男氏。機会があればぜひまた彼の指揮で歌ってみたい。

 余談であるが、終演後、サインを求める私に、北原氏は快く応じてくれた。しかし、そのサインの日付を見ると、1週間程間違えておった(笑)。物静かで知性的な雰囲気の北原氏であるが、ちょっぴり天然ボケな一面もあるようで、私は楽しくなってしまった。
習志野文化ホール主催「ヴェリズモオペラの世界」演奏会(2003年3月9日)レポート
レポーター:鈴木朝子
演出: 大島尚志
出演: ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉、
    習志野文化ホール楽友合唱団 (合唱指揮: 鈴木賀子)
    郡愛子、井ノ上了吏、天田美佐子、松尾健市、河野めぐみ、
    [オーディション選考] 原田圭、田中良枝、小林祐太郎、中園陽江、高橋淳、
    村林徹也

[第1部 ヴェリズモ・オペラ名曲集]  レオンカヴァッロ:「道化師」より、 チレア:「アドリアーナ・ルクヴルール」より、 チレア:「アルルの女」より、 ジョルダーノ:「アンドレア・シェニエ」より

[第2部 市民オペラ]  マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」

3月9日、習志野文化ホールでの市民オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、キャスト、合唱団(習志野文化ホール楽友合唱団)と、演出家をはじめとした多くのスタッフが皆で一つになってつくり上げてきた事が伝わってくる素晴らしい舞台だった。

ヴェリズモ・オペラということもあり、演技はもちろん音楽的にも表現が難しかっただろうと思われるが、マエストロ北原とニューフィルオーケストラ千葉の演奏は、迫真の演技のキャストと、100人を超えると思われる合唱団を(まさに、縁の下の力持ちとなって)支え、その音楽をひっぱっていた。さらに、アリアや二重唱といった部分的な所だけではなく、オペラ全体を通して観てこそ味わえる音楽の構成が見事で感動的だった。

習志野文化ホールにおける音楽事業が、ますます人々に楽しみと感動を与えていくことを期待すると共に、マエストロにもっともっと、オペラを振ってほしい!!と切望してやまない。
北原幸男=東京都交響楽団の埼玉・富士見市での「第九」をめぐって
寄稿者:音楽評論家 奥田佳道 様
寄稿日:2003年2月17日
2003年1月26日 富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ開館記念事業 第九演奏会
北原幸男指揮東京都交響楽団
半田美和子(ソプラノ)、井坂惠(メゾソプラノ)、望月哲也(テノール)、若林勉
(バス・バリトン)
富士見第九を歌う会

北原幸男=東京都交響楽団の埼玉・富士見市での「第九」をめぐって

奥田佳道

 奇をてらうことなく、整った歩幅でまっすぐに進められる<第9>を久しぶりに聴いた。北原幸男は、構えの大きな楽曲が内包する神秘性を演出たっぷりのタクトであざとく掬(すく)うことも、また祝祭性だけを賑々しく強調する手段にも出ない。誤解を恐れずに言えば、オーケストラにあえて任せ、彼が信じるところの「正統」を目指す。

 昨今、時代楽器やその奏法、新校訂の楽譜云々を拠り所にした<第九>の公演が目立つ。いずれも有意義な催しでこれからの指揮者、オーケストラ、聴きての関係を問い直すかのような創造的な演奏、つまり<第九>再発見の興奮に浸らせるコンサートもあるのだが、一方、机上の美学に留まったかのような演奏も少なからず見受けられる。刺激的であったとか興味深いという次元で終わった演奏は、喝采を呼びジャーナリスティックな話題も呼ぼうが、存外、聴きての心には残らない。

 私たちはいつのまにかアイディア満載の<第九>、小細工を呈した解釈や何か事件性のあるセンセーショナルな演奏にしか反応しなくなってしまったのか。いや、そんなことはないだろう。

 北原のタクトはそんな、めまぐるしく変化(進化?)する<第九>の現況と距離を置き、自身の実直な歩みと音楽観を再確認しつつ、東京都交響楽団から適宜自発性を引き出すものだった。ステージが手狭なため12型(第1ヴァイオリン12人)と控え目な編成で演奏されたが、オーケストラのプロフェッショナリズムに助けられて音楽のかたちは決して小振りには陥らない。優れた資質を感じさせるソリスト陣、懸命に歌い上げた合唱団ともども、ホールの開館事業に華を添えた格好だ。

 ただ、聴きてとは何とも我ままなもので「正統」を目指して運ばれたら運ばれたで、今度は指揮者とオーケストラの対話や拮抗にも身を委ねたいという欲も出てくる。楽曲とオーケストラに存分に語らせながら、しかし最後に手綱を締めたのは北原幸男の求心的なタクトだったというコンサートをもっと楽しみたい。

 北原と都響の次回共演は10月1日東京文化会館、マエストロがデビュー当時から想いを寄せているショスタコーヴィチの交響曲第5番がメーンを飾る。
キララふじみの第九を聴きました
寄稿者:埼玉県、大林 茂樹 様
寄稿日:2003年1月30日
 キララふじみの第九を聴きました。すごいの一言。おらが街の公民館であんな凄い公演が聴けるとは!

 多忙なマエストロがもう一度振ってくださるのは難しいと思いますが、最初で最後になりそうなのが少しつらいです。

 でも、またいつか、今度はオペラをやってください。合唱で歌わせていただいた妻は大感激。一生の宝物です。
東京大学フィロムジカ管弦楽団・2002年12月23日演奏会レポート
レポーター:衣谷
 クリスマスをひかえた12月23日、我らがマエストロの指揮のもと、江戸川総合文化センターで東大の学生オケ「東京大学フィロムジカ管弦楽団」定期演奏会が開かれた。曲目はメンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」序曲、ベートーヴェン:交響曲第2番、ドヴォルザーク:交響曲第8番であった。

 プロの指揮者がアマチュアの学生オケをどのように仕上げるのか興味があるところで、プロのオケとは又異なった音作りに北原氏の教育者的指導の側面を見たような気がした。

 北原氏の追求する音の表現をかもし出しつつ、所々ハラハラする演奏でありながら氏の棒さばきにスリリングによく応えたものだと思い大変面白かった。

 指揮者としては並々ならぬ苦労のことと思うが、プロの指揮者とアマのオケの組合せの中に普段は感ずることのできない指揮者の力量を知ることができるかも知れない。

 ミスをしようとも北原氏のタクトに必死に喰らいついて行こうとしている学生の演奏する姿を見て、とかく「音学」となりがちな「音楽」を「音楽」として楽しんで聴いて見るのもひとつの楽しみ方なのであろう。北原氏が何かしらアマオケ、学生オケを振るおりには、是非とも一聴をオススメする。

 [なお、次回の東大フィロムジカ管弦楽団の演奏会は6月22日(土)に三鷹文化センターでベートーヴェン:交響曲第7番の予定のようである。]